F・W・ムルナウ『サンライズ』(1927)@アテネフランセ文化センター

冒頭のトラジションを駆使した映像の後、主要人物たちが登場してくるのだが、そこでの人物たちの動きにまず目を奪われる。まるで、身体中に均等に重りをつけられたかのような、重苦しい動きなのだ。いや、この映画に即して言うならば「重り」ではなく彼らは水中に沈められているかのようだ。そして身体中に等しく「水圧」を受けているが故に彼らの動きは重苦しいのではないかと思えてしまう。その水圧があるからこそ、ラスト、その水圧を打ち破り、物凄いスピード(それは客観的にカット割、編集などの観点からみても早い)で疾走した夫が妻のもとにたどりつく時は感動的だった。夫婦は水圧から解放された。映画の終わりを告げる『FIN』の文字が、水中から浮き上がってくるかのような表現で画面に映し出されたことで、僕はよりその確信を強め安心した。それにしても、画面に、俳優に終始この水圧を与え続けた監督には驚愕するしかない。(田村)