横浜聡子『ジャーマン+雨』(2006)@ユーロスペース

著名映画人等の絶賛や、ぴあに取り上げられるなどして話題になっているこの映画。キャッチフレーズは「内向しない日本映画」だそうだ。僕は自分でも常々思っているし他人からもよく「きみは内向的だ」と言われるのだが、いざ「内向」というものを説明しようと思うとうまくできない。それではこの映画が逆説的に定義している「内向的」とはいかなるものかといえば、それはトラウマを代表とする醜い過去、または悲惨な現状のようだ。
冒頭からそれら内向の温床である事象は画面上で徹底的に踏みにじられる。ゴリラ顔の主人公よし子は祖父の従軍手当(?)と祖母の遺産を悪びれることなく使って生活し、老人からの手紙を汚物で溢れるマンホールの中に投げ捨て、人のトラウマを音楽に還元し、ダンゴムシは叩き潰される。それは内向的なるものを徹底的に踏みにじり、とりあえずの欲求に向かい生きていく、強大な意志の表れのように見える。危険に対して身をまるめるダンゴムシとは対照的に、自らの足に釘を突き刺してまで欲求にむかってひた走っていくよし子の姿は確かにすがすがしく、多くの若者がダンゴムシと化した(かのように見える)日本の一面に対しての明確なアンチテーゼとしてその映像はかなりの力強さをたたえている。
ただ、この映画が終わったときになにか違和感を感じてしまったのも確かで、それは結局この映画は日本の現状に対するアンチテーゼではなく「内向的な日本映画に対してのアンチテーゼ」にすぎないのではと思えてしまうからだ。ある枠組みの中であるものを否定したが結局その外には出ていないというか…。(それは俳優のせいなのかもしれない)
もっとも、(ある種)攻撃的なこの映画に対して僕自がダンゴムシになっているだけだということも考えられる。(田村)