ジェイムズ・ガン『スリザー』(2006)@シアターN渋谷

ロメロの『ゾンビ』のリメイクである『ドーン・オブ・ザ・デッド』の脚本家が初監督して作られたのがこの『スリザー』だ。アメリカのとある田舎町になんの前触れもなく飛来してきた謎の物体Xによって、ヒロインの亭主はエイリアンに変貌してしまう。そして、人間の体内で増殖させた「スリザー」というグロテスクな生き物の襲撃で町の住人たちは次々とゾンビに変えられていく・・。
 これだけの大惨事を引き起こすエイリアンに、特にこれといった目的はない。わざわざ女を誘拐して「スリザー」を繁殖させることも、人々をゾンビに変えてしまうことも(ちなみに彼らが吐き出す液体は強い酸)、すべてが無目的に進められていくのである。しかし、ほとんど自然災害だとか天変地異に近いこの事態に対して、生き残った人間たちの行動は実に理にかなっており、無駄がない。逃げるときは全力で逃げる。やむなく闘うときは、ほぼ一撃で相手を倒す。目的に対して最短、最善の手を尽くすという意思が登場人物たちのすべてに表れている。このことは、一歩間違えばとんでもなく肥大化してしまいそうな今回の作品を、90分程度で仕上げたジェイムズ・ガン自身についても言えることだろう。省略するところは省略し、見せるところはしっかりと見せる。この手のほかの多くの作品と見比べてみなくても、その禁欲的とも言える姿勢は明らかだ。そういった点では、映画的な物語としてはほぼ同じような話を扱っているのに、無目的に肥大化し続けた『マトリックス』シリーズとこの『スリザー』は、対極の位置にあるのではないだろうか。加えて、カーペンターとクローネンバーグの作品に見られた演出を、自らの作品にアクロバティックに取り入れることに成功している点は、特筆に値すると言える。
 ラスト近く、スリザーに侵食されてしまいながらも、まだ意識が残っている仲間が主人公に自分を殺してくれと懇願する。少しためらいつつも、手早くピストルでその仲間の頭を撃ち抜いた主人公はすぐさま本来の目的の遂行に戻る。彼の目の前にいるのは、ほかのゾンビどもを身体に取り込んでひたすら肥大化するとてつもなくグロテスクな生き物だ。(高木)